働き始めてから、自己紹介をする機会が増えた。
自己紹介は疲れる。
とりあえず、初対面の人間と話す労力はぱない。
やはり大学時代の専攻や研究の話題が出ることもあり、僕はそのたびに
「数学の研究をしています」
と言っていた。
「数学の研究をしています」。
ざっくりしている。
ざっくりしすぎている。
天気予報で言ったら
「ここ数日のうちにくもりの日があるかもしれない」
くらいにはざっくりしている。
数学と一言に言っても、数学の中には代数や解析や幾何や確率論や色々分野があり、さらにその中でも細分化されているのだ。
でも、そんな実態を知っているのは数学をある程度勉強した人だけである。
学生時代は、僕の周りにいた先生や学生は数学科が主だったため、
「解析学を専門にしています」
「偏微分方程式論を専門にしています」
「変分問題を専門にしています」
などといった、カタクルシイ言葉を使うことが是とされてきた。
が、社会人になってからはこの限りではない。
社会にはいろいろな人がいる。
「数学」と聞くだけでアレルギーのようなリアクションをする人もいる。
自己紹介といった相手のことが詳しくわかっていない状態で、先に述べたようなカタクルシイ言葉を使うことは避けたいわけである。
ただ、
「数学の研究をしています」
程度の言葉では、明らかに情報がなさすぎる。
情報がなさすぎるのも考え物で、
「ほーん、たいして勉強してこなかったんやろうなあ」
と思われるのも癪だし、
「ほーん、具体的にどういうことやっているの?」
と話を広げようとして、パンドラの箱を開けてしまう命知らずもいる。
そういった数々の状況を踏まえ、筆者は
「数学の研究をしています」
と
「解析学を専門にしています」
の間くらいのレベル(と個人的に思っている)である言い回しとして
を多用するようになった。
この「微分積分」という言葉は程よく便利で、高校数学の鬼門的役割としての印象と「セブンイレブン」に通ずる語呂の良さが相まってか、
「ほーん…」
と勝手に思ってくれることが多い。
とりあえず、変に話が広がらないのがよい。
「懐かしい!高校以来に聞いたわその言葉!」
とでもなってくれれば御の字である(そのノリの方が話しやすい)。
理系文系問わず伝わるのも高得点である。
数学ファーストインプレッションとしてはちょうどいい言葉な気がする。
というわけで、来年度から社会人になる解析専攻の人の参考になれば。
で。
なんで急にこういうことをブログに書いたかと言いますと。
実は会社のプレゼンの練習で、自分の学生時代の研究関連の話をすることになったんですけど、数学科以外の人間に数学の話をする際の、ちょうどいい力加減ってどう探っていたか、ふと思いメモした次第。
僕は学生時代、奨学金免除書類の関係もあって、他専攻の学生の前でポスター発表をしたことがあるんですけど。
その頃の僕はD進コンプレックスで腐っていたので、
「数学がわからないやつが悪い」
くらいのモチベーションで発表をしてしまいました。
つまり、他専攻キラーな発表をしました。
それは一方的な「押しつけ」であって、とてもじゃないが「発表」とは言い難い心構えだったと思う。
当時から一年くらい経つが、もっといろいろできたのではないかと未だに思う。
(一応、専門が変分問題ということもあり、紙粘土でエネルギーポテンシャル項の立体を作っていったりしたんだけど、マジで邪魔でしかなかった。)
数学科の研究は他専攻に伝わりにくい内容も多いと思うけど、よい子のみんなはちゃんと他専攻の人に寄り添うんやで。お兄さんとの約束だぞ。
はい。
そういえば、学生時代に塾講で働いていたときや教育実習に行ったときは、「微分積分」を一切知らない高校生相手にイントロダクションを話す機会もたくさんあった。
その時は決まって以下のような話をしていた(さすがにもっと易しい表現ではあったが)。
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『1分で1km進んだ自動車があります。
10分で何km進むと思いますか?』
この問いを投げられた人は決まって「10km」と答える。
僕もそう答えるだろう。
でも、何で「10km」と答えるのだろう?
1分で1km進んだ自動車が次の1分も1km進むとは限らない。
信号に引っかかったり、気持ちよくなってアクセルを踏んだり、…
現実であれば1kmぴったり進む可能性の方が低そうなものである。
それなのになぜ「10km」と答えるのか?
さて、次の問いを考えてみる:
『1分で1km進んだ自動車があります。
次の1分は2km進みました。
この車は10分で何km進むと思いますか?』
この問いになると「10km」と答える人は少ない。
1km、2km、3km…と想像して1+2+3+…を計算する人もいれば
1km、2km、4km…と想像して1+2+4+…を計算する人も現れる。
先の話のせいもあると思うが、どちらも正しそうで、どちらも間違っているように思える。
たかが1分、2分という「局所的」なデータをもとに、10分という「大域的」な全体像を想像する、その判断材料は何だろうか?
ここまで来ると、まるで次の問い以外の問いには、一意な答えがないように思える:
『10分で10km進んだ車があります。
この車は10分で何km進みましたか?』
何だこの問題。
馬鹿にしているのか。
こんなことを考えるために数学をするわけではない。
そもそも結果がわかっているのに結果を予想することは何の意味もない。
こんな問題を考えるなら
「1分あたり1km進んだから10分で10km進む!」
と、理論づけて自分の「予想」を語る方が意義がありそうなものである。
ところで、この
「1分あたり1km進んだから10分で10km進む」
という考え方は『積分』の考えである。
積分は、カタクルシク言えば「局所的な材料から大域を得る」ための手段である。
が、ざっくり言うと「未来予知」である。
まだ10分経過していないときに10分後の車の走行距離を理論づけて説明するのだから、「未来予知」という表現もあながち間違いでないといえる。
微分積分を習うにあたって、『積分』に対して「これから何が起きるのかを根拠立てて説明するために利用するもの」という認識を持つことが非常に大事だと僕は思う。
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このようなことを(易しくした表現で)話した後に、生徒に尋ねる。
『10分で10km進んだ自動車があります。
最初の1分では何km進んだでしょう?』
生徒は、10÷10をしなくなる。
違う。そうじゃない。