猿神大学

数学についてあまり書きません。

社会の先生になりたいと思っていた時期もありました

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今日のガソリン

今回のブログは前回の続きです。 

 

ちなみに、これらの備忘録は、当時僕が思っていた感情や疑問、帰着を現代の僕が言語化するものなので、当時の僕はもっとクソみたいなことを考えながら生きています。念のため。

 

sarugami-univ.hatenablog.com

 

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勉強を学ぶことが好きになった僕は、クラスメイトや部活の後輩から勉強の質問をされることも増えた。

自然と勉強を教える機会というのは増えていった。

 

「勉強がわからない」「勉強が苦手」という人間が成り上がったこともあり、ある程度相手の立場や能力を理解しつつ勉強を教えることができていたと思う。

 

かつて馬鹿だった僕は、この時点で勉強に対して

 

「そんなの常識」「考えたらわかることじゃん」

 

みたいなことは絶対ない、と思う人間になっていた。質問をしてきた側が「わからない」と言ったら、自分もある程度その視点に立って説明をするようにしていた。

 

自分が当然だと思っていたことも、第三者から改めて疑問を呈されてみて実は当然ではないと気付くこともあり、勉強を教えることは自身の学びにも繋がっていたように思う。

勉強を教える中で、自身の学びも大きくあることを実感していた節は大いにあった。

 

 

ある程度丁寧さをもってクラスメイトに勉強を教えていたので、ある程度の信頼は得た。さらに、「お前のおかげで点数伸びた!ありがとう!」みたいな声もあり、それらは嬉しくもありやりがいになっていた。

 

こういった経緯から、自分には『勉強を教える』能力と適性、モチベーションがあると思うようになった。

 

そして、僕は『先生』になりたいと思うようになった。

僕にとってこの夢は「野球選手がかっこいいから野球選手になりたい」のような夢でなく、「野球が上手いから野球選手になりたい」と同じ構造で、ある種の現実味を帯びた夢だった。

 

(やがて、この『勉強を教える』と『先生』の乖離に気づき、今の僕が形成されるのだが、それはいつかの教育実習編で語ろうと思う。)

 

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「先生になりたい」という夢を持ったがよいが、先生という夢にはいろいろな種類がある。

 

www.koukouseishinbun.jp

 

詳しくは上記URLを見てほしい。

 

簡単に説明すると、先生は所属する学校の種類、つまり、

  • 小学校
  • 中学校
  • 高校

で、やることが大きく変わる、ということだ。いずれのステージも、

  • 生徒の精神年齢
  • 学級担当制・教科担当制の差異
  • 部活の重要度(このあたりは教育委員会の体系かも)

をはじめ、様々な条件が異なる。ゆえに適性も異なるのである。

 

僕は先生になりたいと思ったときが中学生だったが、少なくとも小学校の先生にはなれないとわかっていた。

 

水泳とピアノができないのだ。

 

もちろんここで当時好きだった女の子が「水泳できないの?」「ピアノできないの?」と言っていたら、違う結論があったかもしれないが、それはさておき。

 

小学校の先生は学級担当制なので、どの先生も「水泳」「ピアノ」ができる必要があり、これは必須条件である。

むろん、中学時代に志した夢だったので、高校3年間+大学4年間でいくらでも補える能力かもしれない。

 

が当時の僕は「そもそも、どうやれば先生になれるか」を知らなかった。

僕は、言うならば「教科書に書いてあることはわかる」タイプの子で、政治や芸能、その他一般教養や常識に疎かった。

 

当時の僕は、「大学」を知らなかったので、高校の次は先生だと思っていた(!!)。

中三くらいまで「東大」は「灯台」だと思っていた。そのせいで「偏差値」は「視点」だと思っていた。東大は偏差値が高いので。

 

さらに、教員免許とか試験とかとは無関係に、先生が「○○くん、先生やらない?」と誘ってなるものだと思っていた。スカウト制である。*1

 

そんな感じの子だったので、 「先生方には僕が水泳とピアノができないことはバレてる、もう小学校の先生は無理だ」と思っちゃっていた。

 

そういった流れで僕は中学の先生を志していた。

 

で。

中学の先生を志すと今度は別の問題が生じる。

中学の先生は教科担当制なので、得意教科を一つ見つける必要があった。

 

僕には得意、と言える教科はなかった。

 

体育や美術、音楽、家庭科はむろん自信がなかった。

水泳とピアノができないわけだし。

美術は、お絵描きは好きだったが、せいぜい下手の横好きだろう。彫刻や油絵はもっての外だ。

家庭科は、先生に「君はなるべく包丁を持たないで、料理のできるいい人を見つけなさい」と言われた。悲しい。

 

強いて言えば社会の歴史が好きだったが、公民が嫌いすぎて、「なんで社会ってひとくくりになってるんだろう」とキレていた。

 

英語は「話す」・「聴く」の能力が著しく欠如していた。ALTの先生と話す機会もあるだろう。僕は人見知りなので、言語も伝わらない人とおしゃべりなんてできないと思っていた。

 

国語は古典に興味がなかった。なんか、「イマドキじゃないな」って思って、J-POP聞いてた。

 

理科は実験ができる気がしなかった。火が怖かった。実験でマッチ棒を擦るのが無理だった。あと、唾液でデンプンを分解する実験するときに、同じ実験グループの女の子が「俺たちの授業のために唾液を出す」シーンで、すごくわくわくしてしまった。で、そのわくわくを同じグループの男子に説いたら、僕のいろいろな人間としての尊厳は損なわれた。

 

そんなこんなで、自分がある程度、好きと思いながら自信をもって指導を継続できる教科は数学なのでは?と思っていた。

だが、当時の僕は文章を読み書きするのが大好きな馬鹿の子だったので、特段数学が好きというわけではなかった。

 

しかし、数学には特別な思い出があった。

 

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僕は小学校時代、担任の先生に「お前らの誰かが円周率100桁言えたらお小遣いあげるわ」と言われて、100桁暗唱して図書カード500円をもらったことがある。

ちなみに、金券が目的だったので、翌日には30桁くらいしか言えなくなっていた。

 

「先生が小学生に金券っていいの?」とか「いや500円かよ」とかいろいろツッコミがあるが、当時の僕はデュエマ命だったので、「150円でもいい…1パック買える…それでバジュラが当たれば勝ちなんや…!!」と思って暗唱した節があり、その500円で購入して手に入れた《界神オットー》はいまだに印象深い。

 

せっかく手に入れた切り札(?)だったのだが、リンク先の《幻神ドッコイ》を持っていなくて、活躍させられなかった記憶。

 

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オットー&ドッコイ

ちなみに、この思い出のため「僕はオットーに縁がある」と思って生きていた。

大学院時代、研究テーマに迷っていた僕に指導教官が論文を複数個持ってきて、「この中から気になる論文を選びなさい」と言われたときに、迷わずFelix Ottoの論文を選択したのは記憶に新しい。

 

en.wikipedia.org

 

結果、大学院で賞を頂けるほどの成果を出せているので、縁は大事にしたいと思う。

 

バシッ(強い打撃音)

 

カミナリたくみ「お前、数学じゃなくて、デュエマの思い出だな!!」

 

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はい。

そんなエピソードもあるため、中学で円周率の話題が出るたび、同じ小学校出身の奴から「こいつ100桁言えるんだよ」と無茶振りされて、「もう100桁覚えてないよ…」と思いながら30桁くらい言って「ドヤッ」とすることが多かった。

 

が、授業が進み、「π」を使うようになってから、そういったパフォーマンスの機会が減り、僕の芸人魂はオイシクナイと思うことが多かった。何だったらクラスの天然の奴が「πの二乗」を「ぱいぱい」と読んだ方がオイシイわけで。

 

当時、僕は「π」が憎かった。

当時の僕は、割り切れない値を文字でごまかしている感じがして、なお嫌いだった。

「なーにがπだよ、ごちゃごちゃ言わずに全部計算しろよ、割り切れるかもしれんだろ」と思っていた(そんな人間がいまでは三角関数ちゃそを名乗っているのだから不思議)。

 

教師になるには数学が一番妥当だが、今の僕が振り返ると、当時の僕は、正直数学のセンスがなかった。

で、僕は

  • 教師になるなら社会!!公民勉強しよう!!
  • 社会でスカウト来なかったら、次は国語!!懐メロの時代あるかもしれん!!

くらいの感じで、先生になりたいと思っていた。

 

そんなこんなで、書類上は多分いい成績で中学を卒業し、 夢を持った状態で高校へ進むこととなる。

 

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…ここまで書いたが、いまこうやって数学の論文書く状態になっているのは色々巡り合わせが奇跡だな。

多分次は、高校の話かな。

 

*1:よく考えたら、テストの成績はいいけど根が馬鹿の子なので、英語の授業中にかくれんぼしたり、国語の授業中に墨汁を薄めて飲んだりする子だった。そりゃ教員採用試験なんて想像できないわな。