猿神大学

数学についてあまり書きません。

「数学的思考」的思考

こんばんは。

三角関数ちゃそです。

 

読者の時間を無駄にしないためにあらかじめ断っておくと、この記事には、帰着も根拠もありません。

 

言うならばオナニー的なエッセイです。

んふう。

 

オナニーエッセイ。

 

オナッセイ。

 

…オットセイみたいですね。

オットセイの「オウッオウッ」って声、男優っぽさありますよね。

 

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はい。

 

僕は数学屋さんだったのですが、この界隈には、よく「○○的思考」という言葉が現れます。

 

論理的思考。

抽象的思考。

数学的思考。

 

 

よく聞きませんか?

 

 

よく聞きますよね?

 

 

そう、よく聞くんですよ。*1

 

 

で。

ここで一つの疑問が生じるわけです。

 

…これらの言葉の定義とは?

 

僕は在学時、ずっと疑問だったんですよね。

 

はい。

例えば、数学であれば、「集合」や「写像」みたいな言葉も数式ないし論理式で「定義」がなされています。

 

定義があるから、東西南北教授学生問わず、数学の議論ができるわけです。

 

定義があるからこそ、共通の言語として役割を持つことができるわけです。

 

定義がプロトコルの役割を持ち、意見の発信者・受信者の中で共有されるわけです。

sarugami-univ.hatenablog.com

 

そういった背景があるため、数学の勉強をするときには、定義をよく咀嚼することが重要とされますし、講義や学術図書、論文なども定義から説明することが多いです。

まあ、長々と書きましたが

 

「これから語るAと言う概念は、Bという意味を持っています!」

 

というのを明言し、理解する段階を踏まない以上、その先の展開は発信者・受信者の中で共有されないわけです。

 

で。

 

論理的思考。

抽象的思考。

数学的思考。

 

…これらの言葉の定義とは?

 

という疑問に戻るわけです。

 

無論、辞書やGoogleにでも聞けば、何となくそれっぽい答えが返ってくるのですが、どうも、それが一般的な回答ではないように思えます。

www.recruit-ms.co.jp

 

例えば「論理的思考」については、Googleで検索すると上位に大手人材支援企業による「論理的思考力」に関する説明が出てきます。

が、全員が全員このページにある意味での「論理的思考」を定義としているわけではないでしょう。

 

そもそも、数学でも、例えば「微分は概念はこう定義すべき!」というのは、解析・幾何・代数で異なることがある印象ですし、同じ分野でも扱う問題によってはその汎用性のレベルに差があるように思えます。

 

先に「定義がプロトコルの役割を持ち、意見の発信者・受信者の中で共有される」と述べたのですが、その定義と言うのは明言するまでは曖昧であり、逆に明言することでその輪郭をあらわにするのです。

 

定義というのは汎用化された概念ですが、汎用化するレベルについては一様ではない、それゆえ定義自体がぶれることがあるわけですね。案外、定義と言うのは人それぞれ、曖昧なものだったりします。

 

さて。

 

論理的思考。

抽象的思考。

数学的思考。

 

これらの言葉を汎用化するにあたり、どの知識レベルからこれらの概念を見ればいいのでしょうか。

 

小学生も中学生も高校生も大学生も大学院生も社会人も、無意識のうちに数学を利用しています。

 

買い物の料金の計算から、フェルマーの最終定理の解を求める用途まで。

最近だと四元数体が話題に上がりましたよね。

 

 

むう。

これらすべてが数学です(!!)。

 

「数学的思考」と言った際には、これらをすべて包含して「数学的思考」である必要があります。

なぜなら、これらはすべて数学だからです。

 

さて。

 

数学的思考とは、計算力?

買い物の料金の計算であれば、それで十分でしょうが、フェルマーの最終定理の証明を計算力と言い切るのはムズカシイ気がします。

 

数学的思考とは、論理的思考力?

今度は逆に、買い物の料金の計算を論理的思考力というには、なんだかもったいない気もします。買い物の料金の計算は計算力に留まるような気がします。

 

数学的思考とは、応用力?

四元数体はゲームプログラミングに役立っていますし、暗号理論や金融工学など、生活に応用される数学はたくさんあります。もしかして数学的思考は応用力?

 

数学的思考とは、精神力?情熱?それとも…?

 

 

そうなんです。

 

 

定義というのは、一般的すぎるんです。

 

ゆえに主語がでかい。

 

だから、とっ散らかるし、いろんな界隈の目に触れては、その界隈の事情を投げられる。

 

僕はよく「本質」という言葉を使っては指導教官に怒られたりしたのですが、こういったぼやけたでかい主語となると、「本質」なんてものはないように思えます。

意外と、自分が「本質」に思っていることは、ぼやけた風景の一角に過ぎなかったりするんですよね。

 

僕はよく「『数学的思考』と言う言葉には一般化された定義がなく、実に数学的でない」みたいなことを言うのですが、今回はそれの言語化でした。

 

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僕は塾講師をしていたのですが、自分が数学科だったこともあり、「点数>興味」の数学の授業を求められることに疲弊することも多々ありました。

 

もちろん、点数を伸ばしてお金をいただく職業ですし、生徒が点数を伸ばしたことにやりがいを感じ得てはいました。

 

しかし、自分は数学の「面白い!」という側面を大切にしていたため、教科書やテスト範囲に沿って手続き的に数学をすることもあり、僕の「数学的思考」に相反する振る舞いが求められることに疲れることもあったわけです。

 

でも、生徒からしてみたら、数学のテストで点が取れることが、他ならぬ「数学的思考」の表れだったりするわけですね。計算ができて、テスト範囲の問題が解ける。模試の成績が伸びる。志望校に合格する。それらすべてを成し遂げるための能力が「数学的思考」だったりすると思うのです。

 

ここで、教師である僕と生徒との間で「数学的思考」に乖離があります。

こんな「塾の先生・生徒」みたいなクソ狭いコミュニティですら、「数学的思考」と言う言葉は一般性を失い、曖昧に漂うのです。

 

ただ、ここで僕は自分の「数学的思考」を尊重したいからこそ、手続き的な授業に疲弊するわけですし、生徒の「数学的思考」を尊重したいからこそ、成績の上がり下がりに一喜一憂するわけです。

 

ここで、生徒の「数学的思考」をないがしろにして自分のエゴを押し付ける、あるいは自分の「数学的思考」が折れる、という選択をしなかったことは、我ながらよかったと思います。互いの「数学的思考」は不可侵であるべきなのだ。

 

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はい。

長々と書きましたが。

 

  • 「数学的思考」なんて人それぞれ、一般化するほど曖昧になる
  • そんな曖昧なものについては、定義を明言して共有した方がいい
  • だからこそ、いろんな立場の「数学的思考」を共有したい
  • そして、自分の描く「数学的思考」は、定義できるくらいには大切にしたい

 

みたいなことです。

 

僕らには、別に数学に興味のない学生が、別に何でもない等式をガチャガチャ計算して等号を示したとき、彼が達成感から「数学面白い!」と思った気持ちを侵す権利もパワーもないのですよ。

そしてそれは、もちろん逆方向にもあるわけで。いわゆる数学を専門に扱っている界隈が一般人に「なんだあいつら…」と思われることも一つの摂理なのかもしれませんね。

合掌。

 

むう。

 

…本当は、この記事は、記事中の「数学的思考」をすべて「プログラミング的思考」で書く予定だったのですが。

それで書くには自分にはまだ「プログラミング的思考」がなかったようです。

無念。

 

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この記事が思ったよりまともな記事になってしまった気がするので、胡散臭い広告の画像を貼って帳消しにします。ルシャトリエの原理。

f:id:sarugami_univ:20210621225929j:plain

多分中に人間が入ってそう。

おやすみなさい。

*1:西念幽子可愛いですよね。