こんにちは。
あなたの街の三角関数ちゃそです (僕が大量生産された世界線における挨拶)
今日は、こちらのツイートについて書いていきます。
「不定積分定数にアンパンマンやドラえもんのような絵を充てる」というネタについて、色々引っかかるところがあるので、どこかで言語化してまとめようと思います。
— 三角関数ちゃそ (@sarugami_univ) 2022年4月7日
導入
「不定積分定数にアンパンマンやドラえもんのような絵を充てる」
とは何か。
こちらで簡単に説明をすると、
といったネタです。
例えば、学校の期末試験において、次のような問題が出たとします。
これに対して、以下のような解答を記述することです。
以下、積分定数をとおく:
以降、本記事では上記の解答をうんち解答と呼びます。
さて、このネタは、数学に詳しくない人でも、
なんか数式の中に「うんち」が混ざっているなあ
と視覚的に伝わりやすいためか、定期的にツイッターで見かけるネタです。
いわゆるn番煎じなもので、 Googleで
積分定数 ふざける
で検索すると結構引っ掛かります。
今日はこれについて、持論を展開していきます。
数学的な解釈
そもそも、うんち解答は、数学的に誤っているのでしょうか。
これに対する答えは、
基本的には、数学的に誤っていない
となります。
「基本的には」と書きましたが、以下の場合は誤りとなるでしょう。
- 問題文中で、記号に対して、すでに別の意味が充てられている場合
- 問題文中で、「積分定数はを用いること」といった旨の指定がある場合
上記の場合以外では、うんち解答は正しい解答となります。
教育的な解釈
ただし、もし私が数学教員だったならば、数学の答案で、
以下、積分定数をとおく:
なんて答案を見たら、×をするかもしれません。 少なくとも、初犯の場合は渋々○をして注意し、2回目以降は減点対象とするでしょう。
答案というのはコミュニケーションである
うんち解答は、数学的には誤っていないのだから、×をつけるのはおかしいのではないか
といった意見もあると思いますので、そのあたりの持論を並べます。
そもそも、答案やレポートというのは、採点者に対して
「私は、この問題に対してこれだけ理解していますよ」
というものを伝える、いわばコミュニケーションツールなのです。
そして、コミュニケーションツールを介する以上、 解答者が答案に記述した内容は、採点者に誤って伝わる可能性が生じます。
例えば、解答者の字が汚くて、書いた文字が読み取れないとします。 この場合、解答者はXと答えたつもりでも、採点者にはYと伝わり、×がつくかもしれません。 そして、これは字の汚い解答者側の責任です。
このように、いくら正しい解答や解法を理解していても、表現の仕方で×がつくケースはざらにあります。
(私自身、塾講や教育実習、TAなどを通して字が汚い答案はたくさん見てきました。そういう答案は読み解くこと自体が負荷なので、「もう一歩踏み込み行間を読んで、できるだけ部分点をつけてあげよう」と思えなかったのを覚えています。そして、それは解答者側に改善していただくより他がないことなので、「もう少しきれいに書こう」といった旨の赤ペンを入れて、解答者に返却していました。)
さて、
以下、積分定数をとおく:
は、採点者に正しくコミュニケーションがとれているでしょうか。
答えは×です。
採点者は、大人数の解答欄を見ているわけです。 そこに、特定の解答にのみ適用されるような独自のルールや文化を持ち込まれると、採点者側に負荷がかかります。 特殊な場合を対応するのは、案外人間は疲れるものです。
そうなると、 「もう一歩踏み込み行間を読んで、できるだけ部分点をつけてあげよう」 といった気持ちが損なわれて、解答者側が不利益を被る可能性が生じます。
いくら題材が数学だからと言っても、答案越しにコミュニケーションを行うのは、所詮人間同士ですから、気持ちというものはある程度尊重する必要がありますし、気持ちを尊重しなかった場合に生じた不利益は受け入れる必要があるでしょう。
うんち解答では、本来、積分定数としてがあるべき場所にがあるだけです。 しかし、
をに置換する
という作業を経て、本来期待される解答に合致するでしょう。この置換という作業は、多かれ少なかれ採点者にとって負荷ですから、採点者にとっては読みにくい答案に違いありません。
というか、そもそも、 みんなが積分定数を使用しているなかで
「私は、積分定数をで表現したいの!」
と主張するのは、ある種のエゴです。 うんち解答をするものはそういったエゴイストである自覚を持つべきなのです。
長々と書きましたが、私は、 数学的な正しさとコミュニケーションツールの正しい用法というのは別のものであり、その双方に対して適切な指導をする ことが、正しい教育であると考えています。 そして、コミュニケーションツールの正しい用法という観点において、うんち解答は×であると主張します。
慣習的な記号付けに倣う
ところで、 記号を置き換えるということは、記号を置き換えるだけの理由付けが求められます。
例えば、 うんち解答に対して、採点者側が
「うんちは時間経過とともに形状・風味が変化するから、定数とは言えないのでは?」
といった指摘をしてきた場合には、それに対して
「積分定数にが適切な理由」
を主張する責任が生じます。
そして、その結果うまく答えられなかった場合、うんち解答は減点対象とみなされても文句は言えないでしょう。
なお、積分定数は「constant」からきています。
数学の記号の多くは、例えば、
のように、意味を持った記号が充てられていることが多いです。
人によっては、こういった慣習的な記号付けは俗的で、数学らしくないと思うかもしれません。
しかし、数学における慣習は、慣習化される過程で、議論を重ね、合理化されてきたものであることが多いです。 ですから、数学における慣習におとなしく従うことは決して悪いことではありません。
むしろ、答案やレポート、セミナーの板書は、慣習的なものを用いた方が聞き手や読み手に優しいものになります。
なんにせよ、解答の中で常識でない記号を扱うことは百害あって一利なしです。 ×をつけられても、仕方ないことでしょう。
類似する議題
有理化・約分
有理化や約分をすれば値としては一緒なのに、×をつけられた…
といった事例も似たような問題かと思います。
これは、「有理化や約分をするべき」といった慣習に則った解答ができなかったゆえに起きることなので、有理化や約分をし損なった側、つまり解答者に責任があります。
そもそも、有理化や約分がなぜ必要なのでしょうか。 これは学生時代、先輩や助教の方々と話し合いをして、
有理化した方がその数の所属する集合が明確化されるから
といった結論に落ち着きました。
では有理数に見えますが、約分して1とすれば整数です。 有理数よりも整数の方が小さな集合であり、それだけ詳細な結果と言えます。 (連続よりも一様連続が言えた方がいい、みたいな話ですかね)
逆に、1と解答できるところをや、
を0ではない任意の実数とする:
みたいに解答されると、1の性質がどんどんかすむわけです。
同じ値を解答をするにしても、より正確に描写された解答の方が、聞き手・読み手に優しい解答と言えます。
物理や化学では
と記述されます。 ここで、各記号は以下の通りです:
- :力(Force)
- :質量(mass)
- :加速度(acceleration)
これらの記号は、物理的な意味のイニシャルからとられています。
ここで。例えば、
「俺は質量を、加速度をで表現するぜ!」
と宣言し、
なる運動方程式を書いたとしましょう。
それは、数学的には誤っていないでしょうが、単純にわかりにくいだけです。 なんなら記号の持つ意味を理解していないのでは?とさえ思われるでしょう。
うんち解答は、数学的には誤っていないのだから、×をつけるのはおかしいのではないか
というのは、 例えば物理の試験の解答に
「俺は質量を、加速度をで表現するぜ!」
と宣言し、
「俺は質量を、加速度をで表現するとしたから、このルールに合わせて採点してくれないと困るぜ!」
といった態度をとるようなものです。
これが、どれだけ横暴な振舞いであるかは理解にたやすいでしょう。
プログラミング
オブジェクト指向言語では、変数やクラス、メソッドにつける名称が重要です。 例えば
var a = b.C(); d.e(a);
だと、何が何だかまったくわからない感じです。
ですが、同じ処理であっても、
var text = reader.Read(); writer.Write(text);
とするだけで、だいぶ印象が変わります。
後者であれば、プログラミング未経験者でも
「テキストを読んで、それを書き出しているのかしら?」
といったニュアンスが読み取れるかもしれません。
もちろん、同一の実装をしていれば前者でも問題なく動きます。
そう。
前者もプログラミング的には誤りではないわけです。
しかし、プログラミングコードもコミュニケーションツールですから、可読性を加味したコードを書いた方が好ましいでしょう。 機械がうまく解釈してくれても、人間がうまく解釈できなければ、保守や管理に困ります。
ちなみに、ループカウンタ変数をiやjでおくのは、これは慣習的なものを感じますね。
日常会話
日常会話においても、
「この前、彼がね…」
と話すのと、
「この前、僕の高校時代の友人の太郎君がね…」
と話すのとでは、後者の方が聞き手に対して優しいでしょう。
これから推測されるエピソードは同じ人物にまつわるものですが、その人物を正確に描写した方がコミュニケーションは円滑に進みます。
まあ。 日常会話くらいだったらそんなに問題がないかもしれませんね。 ですが、仕事のドキュメント作成やそれを第三者へ説明するときなど、ややpublicな場面では
- 未定義語をなるべく登場させない
- 定義される概念とその記号付けはわかりやすさを重視する
というのは大事でしょう。
まとめ
答案で、
以下、積分定数をとおく:
という解答を記述するのは、その行為自体が…
うんち!
どうしても変数に「うんち」が使いたい君へ
いろいろ書いたのですが、まあ、私は教員や塾講、アカデミックな人材ではないので、数学教育に日常的に携わる立場ではありません。 なので、答案に「うんち」と書く人を止めることはできないでしょう。
そもそも、私以外の人間が、答案中の「うんち」に対して、ここまで厳格に向き合うかもわかりません。
ただ、ここまで読んだ方であれば、「うんち」を答案に書き込むことのデメリットについて、それなりに理解していただけたかと思います。
それでもまだ、「うんち」を使いたい。 答案に「うんち」を登場させたい。
君の中では、そんな気持ちがマキグソのように渦巻いているかもしれません。
そんな君は、数学科に行きましょう。
数学科で勉強して、新しい分野を開発し、そこで現れる新たな概念に対して、「うんち」を記号付けすればよいのです。
「うんち」以外の概念に「うんち」を充てるからこのような問題が発生するのです。
「うんち」を「うんち」と呼ぶことの何が悪いでしょうか。
数学科で勉強して、数学の世界に「うんち」を、産み落としましょう。
数学の中に新しく「うんち」の分野が開拓されたとき、世界はどう変わるのでしょうか。
将来、小学生が答案に「うんち」と書く日が来るのでしょうか。
「うんち」が好きで数学に興味を持ったみたいな子供も現れるかもしれません。
本ブログでは、 そんなかけがえのない未来のために頑張る数学徒を応援します。
ちなみに、このブログの執筆者は26歳らしいですよ。